Noism 07『PLAY 2 PLAY -干渉する次元』。

Noism 07『PLAY 2 PLAY -干渉する次元』兵庫県立芸術文化センター中ホール 5月19日(土)

構成・演出・振付:金森穣
空間:田根剛
音楽:Ton That An
衣裳:三原康裕
出演:Noism 07(青木尚哉、石川勇太、井関佐和子、佐藤菜美、高原伸子、中野綾子、平原慎太郎、
   宮河愛一郎、山田勇気)

Noismの公演を見るのは、昨年5月の『sense-datum』、12月の『TRIPLE VISION』に続いて3度目。

以前も書いたように、今回取った席は「演出の都合で舞台上に設けられた座席」でした。
当日座席指定で、割り当てられたのは2列目一番右(ちなみに座席数は18席×4列-2席の計70席)。
近い!ほんまに間近でダンサーが踊ってます。
幕が上がる前の舞台も見られるし、なかなか面白い体験でした。

で、これがどう「演出の都合」と関係していたかというと。
舞台の上に並んでいたのは、1辺1mほど・高さ4mほどの三角柱の骨組みに、
透過性の素材を貼ったものが10本。
これが最初の時点では舞台の真ん中に一列に並んで、衝立のようになっています。
つるっとした窓ガラスを、夜に明かりをつけた室内から見るとわかるように、
透過性の素材と照明を使えば、自由自在に鏡像世界を作り出すことができるわけです。
これが実に面白い演出効果を生んでました。
つまり、舞台上の客席は、衝立が透けて見えているときに、
観客から見た鏡像世界としての等価性を高めている。
(つまり、|客席|ステージ|(鏡)|ステージ|客席|という構造。)

※これ、そもそもは鏡像世界を作るという演出上の要求が先にあったのではなく、
 空間担当の田根さんから「次は舞台に客席を置いてみたい」というリクエストがあって、
 それじゃあということでこういう舞台になったそうです(アフタートークより)。
 趣向に必然性を与える上手い処理法だと思いますね。

というわけで、テーマは鏡像世界モノということで、やはり「分裂と統合」という内容に。
ラカン鏡像段階論のバリエーション?みたいなもんなんですかね。
なんてゆうか、鏡の前の自分と鏡の中の自分が影響し合い、溶け合って、
最後に一つのものに統合される、みたいな。
(三角柱は次第に位置を変え、筒状の配置になったりし、最後は袖に引っ込む。)
去年見たベジャール版の「ペトルーシュカ」を思い出したり。

で、そういう設定の中で演じられるのは、なんというか、
端的に言っちゃえば(集団としての)「男女の関係」なんだと思うんですけど、
自分の感想としては、これもやっぱり「対立と相互依存」という「分裂と統合」なんかいな、と。
なんてゆうか、最初は例によって(?)すごく生々しく、暴力的な感じのする雰囲気なんですよね。
でも、最後、三角柱が袖に引っ込んでから、一つになってすっきりしたステージで演じられるダンスは、
そういった関係性がとっても明るくておおらかな感じで。
非常にすっきりとしたエンディングではなかろうかと思います。
正直なところ、最初の方の雰囲気って、あれはあれで男女関係の一面ではあると思うんですけど、
それをああいう形で提示されるのは正直ちょっと苦手で。
(ただし、そういう「普段見えてない部分」とか「目をそらしてる部分」を
 はっきりと観客に提示してしまうのは、演出家としての力量なのであろうとは思っています。)
Noismの公演に限らず、コンテンポラリーの表現て顔の表情はあえて消しちゃうことが多いと思うんですけど、
(多分、身体的な振り付けによって何かを見せようとするときに、
 表情による表現はチャンネルの違う夾雑物になっちゃうからかなあと思うのですが。違うのかな?)
今回は最後、三角柱が袖に引っ込んでから以後の、特にメインダンサーの位置になる井関さんの演技が、
それまでは一貫して抑えられてた顔の表情も使った演技になってたのが印象的でした。

というわけで、非常に面白かったんですけど、欲を言うなら、
もう一回通常の客席側で観る機会がほしかったな、と。
というのは、基本的にこちら側は鏡の中の世界なので、
照明は「こちら側が明るく向こう側は暗い」という状態が多かったのです。
となると必然的に、こちら側と向こう側ではっきり見え方が違うわけで。
(こちら側からは「向こう側が見えない」ことが多い)
「向こうからはどんな風に見えてるんだろ~」というのが、観てる間もずっと気になってました。
もし関西が2回公演だったら、迷わず次の公演のチケットを取ったと思います(笑)。
関西だけが1回公演なんですよね~。ぶーぶー。
まあでも、今回も2階席はだいぶ空いてたし、仕方ないのかな。
秋の公演は関西では予定がないということで、これもまた残念。