パラグラフ・リーディング。

「パラグラフ・リーディング」というものをご存知でしょうか?
人によって細かい方法の違いは多分あると思うのですが、
平たく言えば「段落を文相互の関係から読み解いていく」という英文の読み方です。
これはすごく役に立ちますよー、というお話を。

僕はこの方法を、高校の英語の授業でみっちり叩き込まれました。
大体、高校英語のリーディングの授業というものは、
 語句を調べてくる→訳を作ってくる→授業で解説する
というところで終わりだと思うんですが、これに「パラグラフ・リーディング」が加わっていました。

具体的な手順はこうです。
まず、その段落の中でもっとも中心的な話題を構成する文を探します。
基本的に、英語のいわゆる「説明文」では、一つの段落には一つの話題しか存在しません。
それはたいてい段落の先頭の文で述べられることが多いのですが、
たとえば、段落中に逆接の接続詞が含まれる場合(AbutB)、中心はBの方です。
あるいは、段落中で否定文→肯定文の順に論旨が展開される場合、重要なのは肯定文の方です。
さらに、段落中に原因→結果の順で論旨が展開される場合、重要なのは結果の方です。
こうやって、その段落でもっとも大事な文を決定します。

もっとも大事な文を見つけ出したら、次は筆者がどのように論旨を展開しているか分析します。
「この文は主題をより具体的に言い換えたものである」とか、
「この文は筆者の主張の根拠である」とか、「この文は筆者の主張の具体例である」とか。

で、最終的には、分析結果をフローチャートのようにまとめます。
たとえばこんな感じ。

 1but②>3
      └4(R)
       └5(E1)・6(E2)

この場合、「中心は第2文、第1文は第2文と逆接の関係、第3文は第2文の言い換え、
第4文は根拠、第5文は例1、第6文は例2」ということを表します(R=reason、E=example)。

正直なところ、自分が大学受験をしていた頃は、パラグラフ・リーディングの意味がわかっておらず、
ただやらされているからやっている、という感じでした。
その真価を知ったのは、大学の専門課程に進んで、いろいろと論文を読むようになったときです。
日本語の文章というものは英文ほど機能化されていないので、
論旨があまり整理されていない文章というものに、しばしばお目にかかります。
そんな論文を読んで頭がこんがらがった時、「この人は結局何が言いたいんだ?」ということを考えるのに、
パラグラフ・リーディングをするつもりで他人の文章を再構築してみると、割とうまいこと行くんですね。

そしてもう一つ、パラグラフ・リーディングが威力を発揮したのは、自分が論文を書くときです。
パラグラフ・リーディングの要領で逆算すると、文章の構成を作るのがすごく楽なんですね。
つまり、言いたい結論が決まっていて、そのために必要な材料が手元に揃っていれば、
文章の構成は、半ば自動的・機械的に決まってしまうのです。
(パラグラフ・リーディングは段落内の文相互の関係についての作業ですが、
 同じことを章や節の中の段落相互の関係に置き換えれば、おのずと文全体の構成にも適用可能なので)
逆に言えば、文章が書けないとき・報告が完成しないときというのは、
論旨が自分の中で固まっていないか、論証のための材料が何か欠けている場合であることが多いです。
どちらの場合にせよ、その時点で足らないことが何なのかを、
パラグラフ・リーディングで検算することで確認することもできる、というわけ。



以下はまったく個人的な話。

つまるところ「文章をどう読むか/どう書くか」というのは、
「物事をどのように考え、どのようにそれを表現するのか」という手順そのものです。
ある意味で、僕は自分の精神構造の骨格を、高校3年間の英語の授業で培ったのだともいえます。

僕の高校の時の英語の先生は、僕の担任の先生でもありました。
うちの母校ではクラス替えというものが存在しなかったので、
3年間の高校生活を通して、先生にはずっとお世話になりました。

実は、2日前に先生はご病気でお亡くなりになられて、今日が告別式でした。
仕事の都合が付けられたので、今日はご葬儀に参列してきました。

自分もいろいろと人に教える側に回るようになって、先生のすごさや苦労といったものが、
少しずつわかってきたような気がします。
授業をする中で、ときどき、先生のように教えている自分を見つけることがあります。
そして、教え子にとって、先生にできる最大の恩返しは、
先生から学んだことを少しでも自分のものにして、それを受け継いで伝えていくことなのではないかと、
最近は思うようになりました。
先生に教わったいろいろなことを活かしながら、これからも頑張っていきたいと思います。
先生、どうもありがとうございました。

他にも個人的な思い出はいろいろありますが、それは胸の中にしまっておきます。