池田高校(四国縦断弾丸ツアー・おまけ)。

今日は1ヶ月ぶりに京都市内を自転車で走ったんですが、えらく疲れました。
そしてえらく汗をかきました。ぐったり。
後輩には「ダウンジャケットを着て運動しちゃダメですよ~」とツッコまれましたが。
まあねー、サウナスーツ着て走ってるようなもんだよね(笑)。
今日は良く眠れそうです。

さて、四国のレポも2日目に入ってきました。
2日目は琴平を出発して高知へ向かうわけですが、列車のダイヤは
 琴平発9:20→阿波池田着10:06→阿波池田発11:46
つまり、阿波池田では乗り継ぎが1時間40分待ち!
まあでも仕方ないです。だってローカル線なんだもの。
都会と同じ感覚で行動するわけには行きません。
田舎を旅するのに必要なのは、何をおいても周到な下調べと忍耐なのです。

というわけで、1時間40分をどうやって時間を潰そうかということになるのですが、
「史跡じゃなくても、阿波池田で行くところと言ったらここしかないだろう」と。
そう、徳島県立池田高等学校です。
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多分、今30代半ば以上なら知らない人はない、といっても過言ではない高校ですよね。
今でこそかれこれ20年近く甲子園から遠ざかっていますが、
かつては名将蔦文也監督に率いられ、優勝3回・準優勝2回という輝かしい成績を残した
高校野球史上に残る強豪校です。

まあ実のところ、池田高校の全盛期はリアルタイムでははっきり覚えてないんですけど。
「記憶に残っている最初の甲子園のヒーローは誰か」という問いは、
ジェネレーションギャップの一つの指標として非常に有効だと思うのですが、
1977年生まれの僕にとって、最初のヒーローは清原・桑田のKKコンビです。
それも、2人が2度目の優勝を飾った85年夏の記憶。
清原が投手として登板した2回戦のPL学園×東海大山形の試合を、
友人の家で見ていたのをはっきりと覚えています。
この大会では滋賀の甲西高校が初出場でベスト4に入ったんですよね。
僕は小学2年生でしたが、この年は夏に日航機墜落事故があり、
秋には阪神タイガースが日本一になり…と、いろいろとリアルタイムの記憶が残っています。
大体この辺の年齢からが、自分以外のことに関する記憶が鮮明に残り始める時期なんでしょうかねー。

で、そのKKコンビが初優勝した83年夏の大会で優勝候補だったのが、
水野雄仁を擁し82年夏・83年春と連覇を達成していた池田高校で、
この大会の準決勝でPLが勝ったことで、言わば高校野球界の覇権交代が起こりました。
その後のKKコンビの戦績は優勝2回・準優勝2回・ベスト4というとんでもない数字で、
KK卒業2年後の87年には春夏連覇を達成したこともあって、
(野手の立浪・片岡に投手は野村・橋本・岩崎の3本柱と、この年もめちゃめちゃ強かった)
自分にとって高校野球最強と言えば、やはりPL学園です。
池田高校も、その後だけでも優勝1回・ベスト4が2回・ベスト8が1回と好成績を残しているのですが、
全盛期は過ぎてしまっていた感じなんですよねー。

とまあ、そんなこんなで見に行ったんですが、もちろん部外者ですので中には入っていません。
外から見た感じ、ふつーの県立高校でした。
というか、ほんと山間のせまい谷にある高校なので、ある意味普通じゃないかも…。
こんな小さな高校が、かつては高校野球における最強チームとして君臨したというのですから、
やっぱりすごいよなあとしみじみ感じました。