「第九」のご案内。

今年は二年ぶりに『第九』を歌ってまして、
今日は本番指揮者による練習で天王寺まで行ってきました。
本番指揮者は、現在の若手指揮者の中でバリバリ売出し中の下野竜也さん
5年前にフォーレ『レクィエム』を振っていただいた時の演奏が本当に素晴らしくて、
(当時は歌っていなかったので客席で聞いていた)
今回も期待していたのですが、解釈がある意味斬新で、実に面白かったです。

なぜ「ある意味」なのかというと、新解釈というよりは、現代的解釈ではなく、
原点回帰というか、当時の同時代的解釈を探求したアプローチだからです。
つまり、現代における巨匠(フルトヴェングラーでもカラヤンでもベームでも)の演奏は
基本的に近代ロマン主義以降の文脈で『第九』という曲を解してきたわけです。
でも、ベートーヴェンはあくまでバロックの延長線上の古典派に位置するわけで、
二重フーガなんかは殊にバッハの影響が顕著なんだから、
そういう文脈でアプローチしようじゃないか、と。

…とまあ、今日の指揮者のお話しの受け売りを書いているわけですけれども。
でも、そう言われると非常に腑に落ちます。
たとえば、今年の夏に歌ったモーツァルト『レクィエム』でも、
解釈の方向性としては非常に原点回帰的でした。
もうかれこれ10年以上にはなると思いますけど、
古楽器によるモーツァルトetc.演奏の試み」というのは、しばしば行われています。
別にどちらが正しいとかいうことではなく、解釈にせよ演奏形態にせよ、
「できるだけ作曲者の意図に寄り添って再現する」というのが、近年のトレンドなんでしょうね。
勝手に命名してしまえば、「古典派ルネサンス」みたいな。

これまでにも何度か書いたことがありますけど、こういう解釈のアプローチって、
歴史学における史料解釈に非常に通じるところがあると思うんですよね。
つまり、「何が真実か」というのは結局のところブラックボックスの中にあって、
再現されたものが果たして本当に作曲者(史料なら著者)の意図したものか確かめることは不可能だけれど、
「何らかの根拠」に基づいて提示された解釈であることに意味がある、という点で。

もちろん、音楽の場合は作曲者の意図を再現することそのものに意味があるわけではなくて、
(下野さん曰く、「別に『学術発表会』にしたいわけではない」と)
そこに音楽の力の持つ感動がなければいけないわけです。
うーむ、頑張らねば。

というわけで、えらく長い前置きでしたが、演奏会のご案内をば。
とにかく、これまでにない面白い『第九』になることは請け合いです。
興味がおありの方は、直接京都ミューズまでお問い合わせいただくか、
コメント欄なり何なりで私までご連絡ください。
たくさんの方のご来場をお待ちしております。

下野竜也(指揮)&京都市交響楽団 ベートーヴェン「第九」


日時:2012年12月19日(水)19:00(18:00開場)
会場:京都コンサートホール大ホール(地下鉄北山駅下車、1番・3番出口南へ徒歩約3分)
チケット:一般S席5,800円/A席5,000円(全席指定)

プログラム
ボワェルデュー:歌劇「バクダッドの太守」 序曲
ベートーヴェン交響曲第九番「合唱付」作品125

下野竜也 SHIMONO Tatsuya〈指揮〉
鹿児島生まれ。00年東京国際音楽コンクール<指揮>優勝と齋藤秀雄賞受賞、01年ブザンソン国際指揮者コンクールの優勝で一躍脚光を浴び、以降、国際的な活動を展開。国内の主要オーケストラに定期的に招かれる一方、各国のオーケストラに次々と客演を重ね好評を博した。現在、読売日本交響楽団の初代正指揮者、広島ウインドオーケストラ音楽監督上野学園大学音楽学部教授。

*未就学児童の入場はお断りしています。有料の託児所(お子様1人につき1,000円・完全予約制・定員あり)を用意しておりますので、京都ミューズへお電話でお申込下さい。定員に達し次第締切となりますのでご了承下さい。なお、1歳未満の乳児はお預かりできません。
問い合わせ・申込み 075-441-1567
詳細は公式ページでご覧いただけます。