モーツアルト『レクィエム』@京都・バッハ・ゾリステン。

京都・バッハ・ゾリステン特別演奏会「モーツアルト『レクィエム』」
指揮:福永吉宏 管弦楽:京都・バッハ・ゾリステン

モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番」
ピアノ独奏:荒憲一

モーツアルト『レクィエム』
松田昌恵 A福永圭子 T畑儀文 B成瀬当正
合唱:京都・バッハ・ゾリステン 京都フィグラールコール


今日は友人の出演する演奏会を聞きに京都市内へ。
えーっと、モーツアルト『レクィエム』を聴くのは今年2回目で、
バッハ・ゾリステン(&フィグラール)の演奏会が3回目だっけなあ?
いつもながら素晴らしい演奏会で、堪能しました。

ピアコンの方ははじめて聴く曲でしたが、素敵な曲&演奏でした。
いっしょに聴いていた辛口採点の友人の感想は、やっぱり辛口でしたが(笑)。
ちょっとこじんまりとした編成で、協奏曲というよりはなんだか室内楽っぽい雰囲気。
室内楽とかを聴く時は、たいていリラックスしながら
よしなしごとをあれこれ考えることにしているのですが、
正直にいうと、今日も聴きながら半分は自分の思案に沈んでいました。
鑑賞の態度としては正当ではないかもしれませんが、本人がそれでいいんだからそれで良いのです。
清澄で流麗な演奏でないとなかなかそうはいかないのですが、
(だから、交響曲とかでは物思いにふける感じではないです)
今日は適度にリラックスできて、適度に「おや?」と引き込まれる、個人的には大満足の演奏でした。

『レクィエム』の方は、とっても素晴らしかったです。
指揮者も合唱団も、これだけ歌えたらさぞ気持ちいいだろうなーとうらやましくなります。
全席自由だったのですが、かなり遅く行ったらほとんど席が埋まっていたので(これまためでたい)、
最前列のそれも指揮者の真後ろという場所に座る羽目に。
ある意味特等席ではあるので、せっかくなので指揮者の観察とオケの旋律とに注意力を振り向けてみました。
じっくり聴いてみると、やっぱりオケの音の使い方も面白いですねー。
もっと耳が良ければ、もっともっと楽しめるんでしょうけど。

指揮者の福永さんは、風貌もアプローチもどこか学者然とした方で、けっこう好きです。
クラシック音楽の中でも、特に古典派の時代の作品は、
テキストの解釈学的なアプローチが向いてるんじゃないのかなあ、とあらためて思いました。
今日もいろいろと面白い解釈があってびっくりしたんですが、
その解釈のオリジナリティの拠り所が、現代的なアレンジではなく、
楽譜というテキストへの沈潜の結果なんだろうなーと思わせるものがあるんですよね。
その解釈の全てに馴染めるわけではもちろんないんですが、
(正直、Hostiasはあれが正当な解釈であったとしても、ちょっと違和感は感じるかなー)
論理的一貫性と解釈学的正当性については納得が行く、という感じです。
あれで歌うのはなかなか難しいところもあったと思うんですが、
きっちり合わせてくるところが、合唱団・オケも素晴らしかったです。

というわけで、実に楽しい音楽の時間でした。