「内輪での発言の問題化」について。

 これは本来、先日の東京五輪パラリンピックの開会式・閉会式の演出の統括責任者の辞任に際し、書こうと思っていて止めてしまった内容です。やはり書いておくべきだったと思うので、改めて書くことにします。
 「内輪でのたたき台レベルでの発言が問題とされるのか」といった意見が出されることがあります。内輪の私的な発言であっても、問題化されねばなりません。内輪での私的な発言や行動を問題化しなかったことこそが、セクハラ・パワハラ・DVなどの問題の温床となったのです。さらにいえば、問題化することで救済されるのは、当然ですが女性に限りません。すべての人が救済される対象です。
 そして、「最近は規制が多くて思ったことも言えなくなって窮屈だ!面白くない!」といった意見も見かけます。ぜひそこで考えていただきたいのです。あなたの以前の自由さや面白さは、他者に我慢を強いる上に成り立っていた可能性はありませんか、と。(もちろん、すべてがそうだなんて言いません。そうでなかったときは、存分に楽しめばよいのです)。