大学院入試改悪反対。

今日、大学・大学院に競争原理を積極導入…教育再生関連6会議というニュースが、ヤフーのトピックに上がってました。
詳細は15日付の読売新聞の記事の方が詳しいですね。
大学院の閉鎖性にメス、格差拡大の懸念も…再生会議提言
 教育再生会議野依良治座長)が検討している大学・大学院改革の提言素案が、大学関係者に波紋を広げている。同一大学や同一学部からの大学院への進学者(内部進学者)を制限し、大学院を大学と分離して活性化させる案が、「大学の構造を変える過激な内容」と受け止められたためだ。
 一方、日本の大学は、教授を頂点とするピラミッド型の「講座制」が続き、閉鎖性による弊害が指摘されていることから、今後、大きな論争になりそうだ。
 素案は、大学院の研究強化を目指す野依座長が作成した。大学院が「極めて狭い領域の研究指導に偏っている」とし、主な要因を「学部との連続的な縦割り構造」と、学部4年生の「囲い込み」にあるとした。理工系で大学院生の8割以上が自校出身者で占める現状について、「他大学や他分野に広く門戸が開かれているとは言い難い」と指摘。内部進学者を最大2割程度に制限し、学部生や留学生が自由に大学院を選び、競争できるようにするのが狙いだ。
 提言の背景には、日本の大学が「講座制」により、「教官と学生の甘えの構造」を生んでいるとの反省がある。このため、教養教育を担う大学と、専門教育を行う大学院を明確に区別する米国を参考にした。
 ただ、内部進学者の制限については、学生から不満が出ることが予想されるほか、大学側からも「時間をかけた人材養成が阻害される」といった批判も出そうだ。また、制限を実施する場合、全国の大学院が十分な情報公開をしないと、学生が適切に進路を選べない可能性もある。人気のある大学院に応募が集中し、大学院間の格差を懸念する声もある。提言は、大学と大学院制度の構造改革と言えるものだけに、効果や問題を十分に検討することが求められる。(橋本潤也)

再生会議の大学・大学院改革の提言素案(骨子)

 ・大学院に進学する場合、学部3年での卒業・院進学を標準にする

 ・大学院入試は論文や研究計画書を重視する

 ・大学院生について、同大学の同一学部出身者(内部進学者)の割合を最大2割程度に制限。外国人学生を2割以上選抜する

 ・研究者養成、高度職業人養成など分野別に大学院の性格、機能を明確にする

アホか!と一番言いたい項目は骨子の3つめ、
「大学院生について、同大学の同一学部出身者(内部進学者)の割合を最大2割程度に制限。」
です。

大学院に進学する際に、現実に他学部の大学院に進んだ人間から見ると、
「大学院の閉鎖性ってなんですか?」と言いたくなりますね。スムーズなもんでしたよ。
第一うちの研究室なんて、在学者が延べ8人で、
うち生え抜き2人、他学部1人、他大学4人、留学生1人ていう構成です。
最近じゃ古巣の文学部の方だって、かなりの数の他大の学生を受け容れてますし。

自分の経験を鑑みるに、要するに大学院選択の基準は
「研究者としてやっていく上でどこが自分にとって最適の環境か」
ということ以外にないのです。
結果的に学部と大学院が一致するのは、学部の時に環境によく適合できたとか、
学部選択の時点ですでに自分にとって最適の環境か検討してしまっていて、それが実際正解だったとか、
そういった理由でしょう。
そう思えなかった人は、おのずと他大学なり他学部なりの大学院を選択するはずです。
でないと、困るのは自分なんですから。
(ロクに考えないままに惰性で選択した、という人はこの際論外ってことで。
 どっちみちそんな人間が研究者としてものになるわけがありません。)
それを機械的に制度上の理由で他大学の院に進ませることに、何の意味があるのでしょうか?

「他の世界も見ておくほうがいい」というのはある種の価値観の押し付けで、
(いやまあ、教育というものは根源的に価値観の押し付けをある程度伴うものではありますが)
生え抜きの学究一筋で大成した研究者なんていくらでもいます。
そもそも、「ある程度以上になると、本人が必要性を自覚しない限り、学習効果は上がらない」
というのは、教育の要諦であるはずです。

大学院の課程を修了してしまった自分にとっては今更関係のない話ではありますが(笑)、
自分の後輩となる人たちのために、こんな阿呆な案が実現しないように祈ってます。