『宵の源氏物語~面白能楽館~』@京都観世会館。

『宵の源氏物語~面白能楽館~』@京都観世会館 7月28日
(朗読) 『六条御息所』 女優 高橋由美子
(能) 『葵上 梓之出』
シテ 杉浦豊彦…(六条御息所の生霊)
ツレ 片山伸吾…(照日巫女)
ワキ 小林努…(横川の小聖)
ワキツレ 有村遼一…(朱雀院の臣下)
アイ 茂山良暢…(左大臣に仕えるもの)

笛 杉市和
小鼓 吉阪一郎
大鼓 谷口有辞
太鼓 井上敬介

後見 井上裕久・大江信行
地謡 片山清司・味方玄・浦田保親・吉浪壽晃・味方團・深野貴彦・梅田嘉宏・宮本茂

というわけで、久々にお能を観てきました。
久々というか、数年前に一度見たっきりなんですが。
数年ぶりの能楽はめちゃめちゃ面白かったです!

『葵上 梓の出』は、『源氏物語』の葵上が六条御息所の生霊のせいで死んじゃう場面を
モチーフにした演目。
超有名な場面なので、なんといってもわかりやすい。
セリフも大体聞き取れるんですが、やっぱり鼓とか地謡(要はコーラス)が被さる部分は
ちょっと聞き取れませんでした。
シテやツレは面を着けた状態でよくぞあれだけ声が通るもんですね。すごい。
そしてなにより、所作が本当にきれいです。
舞っているとこの足運びなんかはもちろんですが、
(太ももが上がらない前後運動と旋回運動で、横移動というものがない)
地謡や楽器奏者の方の入退場まで含めて、最初から最後まで無駄な動きがなくて美しい。
なにせ自分が姿勢とか立ち居振る舞いがほんとダメ人間なんで(苦笑)、
すごいなーと思ってしまいます。
これは能楽に限らず、日本の伝統芸能に共通する美しさだと思うんですが。
舞踊でなくても、例えば茶道なんかにも通じる。
きっと和装というものがある種必然的に要求する動きの型なんでしょうか。

演劇としてもとても面白かったです。
演出面では、ほんとにいろんなものをシンボリックに表現するんだなーと。
例えば、実際の舞台に葵上は登場せず、
ただ舞台の前のほうに「出し小袖」という装束が置かれます。
で、「ここに葵上が臥せってると思ってください」ということになるわけです。
それとか、御息所の生霊は最初は普通の女の面で登場するんですが、
験者に調伏される時には、般若の面で登場し、「鬼」であることを示します。
そして、その鬼が一度は験者によって橋掛かりの一番奥まで追い込まれながら、
再び舞台まで押し戻してくるところに、
観客は御息所の情念の深さを見て取るわけです。愛情って怖いよね…。

で、特筆すべきは、そうやって面を着けているのに、
表情や感情がそこから感じ取れるところだと思います。
験者に調伏されている時の怒りや嫉妬が、
調伏に屈した瞬間に悲しみに変わるのがすごく伝わってくる。
こうやって様式の中でいろんなものを観客に伝えていくのが役者さんの力なんでしょうね。
この辺はクラシックバレエの表現に通じるものを感じました。
(能は台詞劇なんだけど、台詞以外の比重がすごく大きいように思いました)

あと面白かったのは、「能は鎮魂のための物語だ」みたいな話を
聞いたことがあるように思うのですが、
(解説にも「成仏し、消えて行く、めでたしめでたし、と能が終わる。」とありました)
これ、六条の御息所の生霊は結局調伏されるのであって、
別に納得して浄化されるわけでもないですよね。
なんか結構暴力的な解決だよなー、と(苦笑)。
炎の蜃気楼』で景虎が終盤感じた違和感がなんとなくわかるような気が…(違う?)。
他にも、験者が生霊に向かって数珠を練り練りしているのを見て、
調伏ってこんな風にしてたのかな~、とか、
「横川の小聖」ってこんなもろ山伏の装束着てたのかな~、とか、
何でこの場面に朱雀院の臣下が出てくるんだ?とか、
鬼モードに入った生霊が持ってる棒は一体何だ?とか(打杖というものらしいです)、
見ながらいろいろとわからないことやきになることがあって、それがそれでまた面白かったり。

というわけで、実に面白かったです。
あればこれからもまた見たいな~。