「親鸞展 親鸞とゆかりの名品」@京都市美術館。

こちらも会期末ぎりぎりに行ってきました。
なんというか、法然展の方に比べて、文献史料と門徒さんが多かったです(笑)。
門徒さんが多かったのは、法然展に行ったのが金曜の夜で、
親鸞展に行ったのが週末の昼間だったからかもしれませんが。

親鸞の手になる仏典の注なんかを読んでると、恐ろしくびっしりと書き込みがあって、
親鸞という人は真面目なメモ魔だったのかしらんと思われました。
というわけで、文献史料はそれはそれで好きだから面白かったのですが、
ただ、やっぱりもうちょっと活字も展示してほしいなあとは思いました。
もちろん頑張ればある程度は読めますけど、
あれだけの大量のくずし字をその場で読んでいくのはさすがにしんどいです。
それか、図録に載っけてくれるだけでもいいんですけど。
ああなると、極端な話、「真筆をありがたく拝む」だけになりかねないわけで。

まあそこは仕方ないと思うにしても、見ていていちばんしんどかったのが、
かなりの部分で、動線の向きが文章の向きと逆方向だったことです。
つまり、(人の動き)→→→→→→→→→→→→→→→
            ←←←←←←←←←←←←←←←(文字の流れ)
ということ。
これも、会場がもともと美術館だから仕方なかったんですかねー。
東京では改善されるのでしょうか。

ところで、展示品の中に、日野有範像(親鸞の父)というのがあって、
なかなか面白そうかも?と思っていたんですが、残念ながら展示替えで後期は見られませんでした。
とっても素朴な疑問なんですが、真宗大谷派本願寺派にとって、
親鸞の子孫を門主とする」という血統主義と、真宗の教義とは、
どういう風に折り合いがつけられてるんでしょうね。
大谷派本願寺派以外にとっては「うちには関係ないこと」なんでしょうけど。

そういえば、親鸞が六角堂で聖徳太子(=観音菩薩)から受けたという夢告の内容である
「女犯偈」というのの内容を今回はじめて知ったんですけど、
行者宿報設女犯
我成玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽
「あなたが前世の因縁によって女犯の罪を成すのであれば、私が女性となり、
 生きている間は清らかに暮らさせ、臨終の際には引導を渡して極楽に生まれさせましょう。」
…すごいな、「観音様はオレの嫁」ってことかー(笑)。

というわけで、なんだかんだで面白かったです。
「伝来の名宝と美術」のところは、別に要らなかった気もするけど…。
まあ、ビジュアル的に必要だったんですかね。