城南宮・北向山不動院・西行寺跡(鳥羽・伏見を歩く その3)。

その他、旧鳥羽殿に関連する寺社をまとめてご紹介。

・城南宮
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創建については、平安京遷都の時に王城守護のため建てられた、
あるいは、城南寺の鎮守神として建てられた、など、諸説あるようです。
いずれにせよ、鳥羽殿が造営されてからはその鎮守とされ、
年中行事として、5月に競馬や流鏑馬が、9月20日に「鳥羽城南寺明神御霊会」が行われました。
承久の乱に際して、後鳥羽上皇は城南寺の「流鏑馬汰へ」(やぶさめぞろえ)の名目で
武士を召集したと伝えられています。

鳥羽殿衰退後は上鳥羽・下鳥羽・竹田三か村の産土神とされ、現在は方除けの神様として信仰されています。

・北向山不動院
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53892854_2?2008-06-13 15:05:06
1130(大治5)年に鳥羽院の御願で建立されたと伝えられる寺院で、
本尊の不動明王は興教大師覚鑁が康助に製作させたものと伝えられています。
で、不動明王が王城鎮護のため北向きに安置されたので、「北向山不動尊」と名付けられたとされています。
というわけで、本堂は北向き。
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たいていは南向きなので、確かに珍しい。
本堂は1712(正徳2)年に東山天皇の御殿が寄進されたものです。



西行寺跡
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53892854_4?2008-06-13 15:05:06
平安時代歌人西行(出家前は佐藤憲清という武士)が、
鳥羽院北面の武士であったときの邸宅の跡と伝えられています。
江戸時代に西行寺が建てられましたが、1878(明治11)年に観音寺に併合され、
現在は西行寺跡を示す石標が建てられています。