白河天皇陵・鳥羽天皇陵・近衛天皇陵。
さて、旧鳥羽殿には、白河・鳥羽・近衛の3代の天皇の陵墓もあります。
・白河天皇陵
場所は西行寺跡のすぐ南側。
本来は成菩提院三重塔が墓所でしたが、現在は失われています。
現在の御陵は一辺33mの正方形ですが、
発掘調査によると、もとは一辺56m、周囲には幅約8mの堀があったそうです。
場所は西行寺跡のすぐ南側。
本来は成菩提院三重塔が墓所でしたが、現在は失われています。
現在の御陵は一辺33mの正方形ですが、
発掘調査によると、もとは一辺56m、周囲には幅約8mの堀があったそうです。
・近衛天皇陵
安楽寿院の南隣にあります。
もとの墓所である安楽寿院新御塔は、本来は美福門院(鳥羽の皇后、近衛の母)の墓所に予定されていました。
ところが、どういうわけか美福門院は高野山への埋葬を望んだため(理由はほんとによくわからない)、
すでに紫野の知足院に葬られていた近衛天皇が、ここに改葬されました。
安楽寿院の南隣にあります。
もとの墓所である安楽寿院新御塔は、本来は美福門院(鳥羽の皇后、近衛の母)の墓所に予定されていました。
ところが、どういうわけか美福門院は高野山への埋葬を望んだため(理由はほんとによくわからない)、
すでに紫野の知足院に葬られていた近衛天皇が、ここに改葬されました。
現在の建物は、1606(慶長11)年に豊臣秀頼が再建した多宝塔。
今まで見た中でもっとも立派な天皇陵でした。
本人はわりと影の薄い人なんですが。
というか、この人が早死にしなければ、保元の乱は起こらずにすんだかもしれないのに…。
(ま、鳥羽院政期の矛盾は、どこかで何とかして解消される必要はあったでしょうけど)
今まで見た中でもっとも立派な天皇陵でした。
本人はわりと影の薄い人なんですが。
というか、この人が早死にしなければ、保元の乱は起こらずにすんだかもしれないのに…。
(ま、鳥羽院政期の矛盾は、どこかで何とかして解消される必要はあったでしょうけど)