白河天皇陵・鳥羽天皇陵・近衛天皇陵。

さて、旧鳥羽殿には、白河・鳥羽・近衛の3代の天皇の陵墓もあります。

白河天皇
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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53901193_1?2008-06-14 03:44:31
場所は西行寺跡のすぐ南側。
本来は成菩提院三重塔が墓所でしたが、現在は失われています。
現在の御陵は一辺33mの正方形ですが、
発掘調査によると、もとは一辺56m、周囲には幅約8mの堀があったそうです。


鳥羽天皇
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53901193_2?2008-06-14 03:44:31
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53901193_3?2008-06-14 03:44:31
安楽寿院の西隣にあります。
もとの墓所は安楽寿院三重塔でしたが、1296(永仁4)年に焼けてしまい、
現在の御陵は1864(元治元)年に造営された法華堂だそうです。

↓冠石。鳥羽院の葬儀の際に、この下に鳥羽院の冠を埋めたと伝えられているんだとか。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53901193_4?2008-06-14 03:44:31


近衛天皇
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53901193_5?2008-06-14 03:44:31
安楽寿院の南隣にあります。
もとの墓所である安楽寿院新御塔は、本来は美福門院(鳥羽の皇后、近衛の母)の墓所に予定されていました。
ところが、どういうわけか美福門院は高野山への埋葬を望んだため(理由はほんとによくわからない)、
すでに紫野の知足院に葬られていた近衛天皇が、ここに改葬されました。

現在の建物は、1606(慶長11)年に豊臣秀頼が再建した多宝塔。
今まで見た中でもっとも立派な天皇陵でした。
本人はわりと影の薄い人なんですが。
というか、この人が早死にしなければ、保元の乱は起こらずにすんだかもしれないのに…。
(ま、鳥羽院政期の矛盾は、どこかで何とかして解消される必要はあったでしょうけど)

この3天皇は、このところ煮詰まってる論文の、主人公とは言わないまでも、
かなりの主要キャラなのですが…いい案が浮かんだりしてくれないかな~(笑)。