日本版「王家の谷」(竹内街道を行く・その4)

どうにかこうにか声が戻ってきたヒナです。
まだ本調子じゃないですけどねー。
昨日は起きてすぐ病院に行ったのですが、
途中で「あ、自転車に乗らずに歩いてきちゃった…。」
で、「まあいいか、ものの数分しか変わんないんだし」とそのまま歩き続けた数十秒後、
こんどは「あ、耳鼻咽喉科に行かなきゃいけないのに、歯医者に向かって歩いてるよ…。」
耳鼻咽喉科は歯医者のずっと手前なので、相当行き過ぎ)
ダメな日は何をやってもダメです(苦笑)。

閑話休題。こないだのレポの続きです。
竹内街道大阪平野に抜けてくると、そこは太子町。
ここはいわゆる「近つ飛鳥」と呼ばれる地域に含まれ(「遠つ飛鳥」はもちろん奈良県明日香村)、
磯長谷には古代の天皇陵と伝えられる陵墓が固まっていることから、
日本版「王家の谷」とか「王陵の谷」とか呼ばれたりします。

具体的に回った順番に挙げると、

孝徳天皇
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いわゆる大化の改新で即位した天皇
難波長柄豊碕宮に遷都しますが、のちに中大兄皇子天智天皇)の大和復都提案を蹴ったところ、
中大兄は皇極先帝・間人皇后や朝臣を引き連れて出て行ってしまいます。
で、孝徳天皇は翌年寂しく死去。ちょっとお気の毒。

推古天皇
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言わずと知れた日本初の女帝。聖徳太子のおば。

用明天皇
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天皇としての治績より、聖徳太子のお父さんとして有名。

です。
位置関係はこちらをどうぞ。
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このほか、敏達天皇陵(推古天皇の夫)もありますが、ちょっと離れていたのでパス。
まあ正直なところ、回った3天皇陵も「聖徳太子廟の添え物」的な印象はぬぐえませんが…。
だいたい天皇陵って、行ったからってどうってことないという感想のことが多いです。
いや、そのくせ見に行くのは好きなんですけどね、人にオススメできるかというと、うーんという感じ。

というわけで、次回はメインの聖徳太子廟を。