当事者意識。

先日の大会で、2年間務めた編集委員も退任しました。
いろいろあったから、「無事に」とは言い難い気がしますね(笑)。「大過なく」ではあるかな。
自分なりに精一杯務めたという自負はあります。
通常業務もそうですが、会誌に関わる他の仕事についても、会運営についても。
 
別に書いても構わないだろうと思うので書きますが、
今年度から会誌で掲載が始まった「博物館と文化財」についての新シリーズの、そもそもの発案者は私です。
もちろん、委員会全体で今のような形に作り上げましたし、
初期段階でいろいろな原稿を依頼して下さったのはもっとベテランの委員の方ですから、
私が関わったのは本当に最初の段階だけ、ではあるのですが。
 
学会の役割というものについては、研究者でも個人個人で考え方は全然違うと思うのですが、
僕自身は、学術団体として(つまり運動団体ではなく)、
研究者や研究の周辺にいる人たち(学校教員・自治体の専門職員etc.)の
コミュニティ機能を担うべきだと考えています。
具体的にそう考えた時に、全国の会員相互の交流の場たりえるのは会誌であるわけですが、
現実には、今の会誌はそのように機能していないなあと感じていました。
 
まして、昨今いろいろな現場から悲鳴に近いような声が上がってきますが、
それは個々の場での散発的なものにとどまっています。
そうした状況の打開のためにも、まずは現状を共通認識として共有することが必要なんじゃないか、
それは全国規模であるうちの学会がやるべき仕事なんじゃないか、という思いがありました。
というわけで、あれは単に会誌が薄いのをカバーするための苦し紛れではないのですよ!(笑)
あのシリーズが今後続くのかどうかわかりませんが、ぽつぽつと投稿もありますし、
できれば継続なり発展的改編なりをしてほしいなあと思っています。
 
他にもいろいろと、できたこともできなかったこともありましたが、
自分の思うところに従って、あれこれアクションを起こしました。
委員を引き受けた時の心持については以前も書きましたが(コチラ)、
委員というのは、義務だと思えば義務ですし、権利だと思えば権利です。
委員にならない限り、日常的に会運営に関わることは、やはり難しいのですから。
それが義務になるのか権利になるのかを決めるのは、つまるところ当事者意識でしょう。
 
この2年間、僕は「ここは自分のいるべき場所だ」と思って委員をやってきました。
大会当日の2日間、自分の担当であろうとなかろうとずっと駆けずり回ったのも、
「編集だろうが研究だろうが総務だろうが、委員は委員なんだろう」と思ってのことです。
その存在が善か悪かとは関わりなく、研究に関わる者にとって、
おそらく学会は必要なものですし、存在する以上は善なるものであるに越したことはありません。
そのためには誰かが何がしかの仕事をやる必要が出てきますが、
「もうちょっとみんな学会に主体的に関わろうや」とは思います。
少なくとも、自分は可能な範囲で主体的に関わり続けたいと思っています。
 
…まあもっとも、「とりあえず今回はもう十分働いただろう」とは思っているので(苦笑)、
当分は適度に休ませてもらうつもりですが(残務処理はちゃんとしますけどね)。
やっぱりきっちり任期を区切ってやらないと、身が持ちませんよね。
そのためにも、みんなでちょっとずつ分担できるのが一番良いですよ、本当に。