蔵書の中の手紙。

「同窓会」・「個人の蔵書」からつながる、個人的体験談です。
むかし、あるところでアルバイトをしていたときに、
別の部署で、ある亡くなられた研究者から寄贈された蔵書を整理していまして。
で、あるとき、そこで整理を担当されていた方(日本史が専門ではない人)から、
「蔵書の中からお手紙が出てきましたよ」と言われました。
「そうなんですか~」と言いながらその手紙(葉書)を見せてもらったのですが、
差出人の名前を見た瞬間、驚きのあまり絶句して固まってしまいました。
差出人は清水三男氏だったのです。
 
このブログをご覧になっている方の、たぶん半分ぐらいは専門外の方なので、
清水三男氏について簡単に説明しておくと、荘園史・村落史の先駆的な研究をされた戦前の研究者です。
ただ、1938年に治安維持法違反で逮捕され、翌年釈放された後、
1943年に陸軍に応召され幌筵島に出征させられました。
そして、終戦時に進駐してきたソ連軍によりシベリアで抑留され、
帰国を目前にした1947年に、収容所で肺炎のため亡くなられています。
そんなこともあって、日本中世史の研究者にとっては、ある種特別な方です。
 
その葉書は、出征先の幌筵島から、所蔵者宛てに送られたものでした。
文面はもちろん、これといって当たり障りのない、近況を知らせるものでした。
ですが、その葉書を目にしたことは、自分にとってはなにかこう、
過去の研究史にリアルに触れたような、そんな体験でした。
普通であれば、過去の研究者というのは、著書や論文を通してだけ知る存在です。
別にそれでよいことなのですが、でも、葉書、それも前線からの葉書を目にしたことで、
当事者の体験の一部が、擬似的な現実として感じられたのだと思います。
 
それは自分にとっては、今でもやはり特別な体験です。
今の自分の思想信条も、研究関心も、そもそも研究対象も、
おそらく故人にとっては相容れないものではないかと思うのですが、
それはそれとして、やはり研究には真摯に向き合わないといけないし、
真っ当に研究ができるような社会であり続けられるようにしなくちゃいけないなあ、と思います。