法界寺。

先週末は「醍醐もちもちぃんウォーク」というイベントのお手伝いに行ってきました。
「もちもちぃん」というのは醍醐地域のイメージキャラクターで、
醍醐寺五大力さん(五大力尊仁王会)の名物「餅上げ」に使われる
巨大な紅白の餅をモチーフにしてデザインされています。
この餅は京都駅前にも展示されますね。
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女性に大人気でした。

イベントでは、日野の法界寺から醍醐寺まで、約2時間ほどかけて歩きました。
というわけで、まずはスタート地点の法界寺から。
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法界寺は山号を東光山という真言宗醍醐派の別格本山です。
藤原氏日野家菩提寺で、草創については
・その1…822年(弘仁13)に藤原家宗最澄自作の薬師如来像を本尊として建てた。
・その2…1051年(永承6)に日野資業が薬師如来を安置する堂を建てた。
薬師如来像の胎内には、日野家に伝来した最澄自作の三寸の薬師如来像を納入した。
という二説があるようです。

というわけで、本堂は今でも薬師堂なのですが、有名なのは阿弥陀堂の方ですよね。
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平安時代末期のものと推定されており、国宝に指定されています。
大きすぎて写真に全然納まらない…。
本尊である丈六の阿弥陀如来坐像は、定朝様の阿弥陀像の典型的な作品で、こちらも国宝。
内陣の柱や長押上の小壁に描かれた絵画はだいぶ剥落が目立ちますが、貴重な逸品です。

10年以上前に参拝した時には気付かなかったのですが、
本堂の中には日野家の霊屋(仏壇?)が安置されていて、
日野家の祖である藤原真夏(内麻呂の長男、弟が摂関家の祖である冬嗣)と、
日野勝光足利義政の義兄・日野富子の兄)の画像が懸かってるんですね。
なるほど日野家菩提寺なんだなーと、なかなか興味深かったです。

薬師堂はうっかり写真を撮り忘れましたが、
1456年(康正2)に建てられた伝燈寺(龍田神社の神宮寺)の本堂を、
1904年(明治37)に移築したもので、重文に指定されています。
本尊の薬師如来立像は秘仏で見られませんでしたが、平安時代後期の作で重文に指定されており、
この像に祈願すると女性の乳の出がよくなると伝えられていることから「乳薬師」と呼ばれています。
ほか、木造十二神将立像が安置されており、これまた重文です。

さてそれで、親鸞日野家の出身なのですが(父は日野有範)、
1173年(承安3)に法界寺で誕生したと伝承されているので、
産湯の井や胞衣塚(えなづか。後産で出る胎盤を祀ったもの)があります。
これも写真は撮りませんでしたけど。
そんなわけで、浄土真宗のある種の聖地のようになっていて、
1931年(昭和6)には西本願寺によってすぐ裏手に日野誕生院が建てられています。
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