恠異学会雑感(アホほど長文)。

ただいま午前三時。
もはや丑三つ時ですらありませんが、大学の研究室のPCに向かっております(苦笑)。
今日は朝から恠異学会のために関学に行き、六時まで目いっぱい研究会をやった後、
阪急に乗って四条河原町まで出て、研究室の送別会。
で、二次会にも付き合って(というか、率先して連れて行って)、二時過ぎに研究室にたどり着く。
うーん、ヘビーな一日だなあ。
終電で帰っても良かったんですけど、今日で会うのが実質最後の人もいるわけで、途中で帰るのもねえ。

さて、恠異学会ですが。
うん、話の内容はすこぶる面白かったですよ。
メニューは、テーマが「王権と怪異」で、
問題提起:大江篤
報告:上島享「中世王権と宗教」
   林淳「徳川王権と陰陽道
コメント:西山克・榎村寛之
でした(敬称略)。
上島報告は、中世王権の担い手である院・天皇を荘厳した宗教秩序の問題について。
林報告は、徳川綱吉期の「文明」化にともなうさまざまな文化的な変化の問題について。
(当たり前の話ですが、こんなんで要約しきれるはずがないことは承知してくださいね)
問題提起が30分以上(レジュメがA4で12枚分!)もあって、
問題提起・報告・コメントであわせて4時間にもなったので、
そもそも飲み込むので精一杯、咀嚼するのはこれからの作業といった感じです。

それにしても、例によって榎村さんのコメントはすごかったな~。
当日聞いた話を組み込んで、古代から近世までのスパンの体系的な話を
20分そこそこで組み上げちゃうんですから。
黒板2面を埋め尽くす大コメントの出来上がり。人間業とは思えません。
もっとも、聞いてる分にはものすごく勉強になるし、めちゃめちゃ面白いのですが、
あの思考の渦の中に巻き込まれて、自分を保ち続けるのは並大抵のことではありません。
(これはうちの師匠についても言えることで、
 頭脳明晰な人と接するのはある部分でめちゃめちゃ大変なのだ)
正直、学部生のころだったら飲み込まれてそれで終わりだったような気がする。
その意味では、思考的感染に対する抵抗力に欠ける人には要注意なのかなとも思ってみたり。
まあ、これはひとえに受け手の側の問題ですけどね。

そんなわけで、内容的にはめちゃめちゃ濃かったわけですが、
フロアからは「なんか日本史研の例会みたい」との不満の声も。
たしかに、王権論ではあっても、怪異論だったかと言われると、そうじゃなかったですね。

とはいえ、そもそも怪異論が「前近代王権論を読み解く方法論的ツールとしての「怪異」の位置づけ」
というバックグラウンドを以て成り立っている以上、このテーマ設定はある種の必然であると言えます。
それに、歴史学(日本・東洋・西洋)・民俗学・国文学・宗教学その他の領域にまたがる
学際的枠組みとして怪異学を設定しているので、
切り口が真っ向歴史学になるということも当然ありえることなわけで。
だから、準備段階でもうちょっと工夫のしようはあったと思いますが、
それでも上記の不満は、ないものねだりのように思えます。

それにね、大前提として、怪異学って、対象がまだ絞りきれてないんですよ。
そもそも怪異には3類型が今のところあって、
1中世社会においてすでに概念化されていた怪異(要するに、史料上「怪異」と表現されるもの)
2「怪異」と認定されることはないが、中世人が「怪しい」と考える事象
(つまり、史料上「怪異」と表現されないが、中世人も怪しいと思っていること)
3中世社会で起こり、現代人が「怪しい」と考える事象
(中世人はそれを別に怪しいと思っていない)
というものです。
で、何を怪異学の対象とするのかということについて、
厳密に1のみに限定するべきだという意見から、幅広く3まで含みこむべきだとの意見まで、
いろいろあって、学会結成以来(といっても5年でしかないが)結論は出ておりません。

で、もうひとつ、これは個人的な意見ですが、「怪異学」と言った時に、
それが方法論としてのネーミングなのか、研究対象によるネーミングなのかが、
人によって多分意識が違うんですよね。
つまり、ある人は「怪異そのもの」を分析することが主目的だし、
ある人は「何かある対象」を分析する事が主目的で、怪異は視角として用いるための手段である。
(たとえば、私にとって目的はあくまで政治史的分析にあり、
 怪異学はあくまでそのためのひとつのツールです)
この発想が根底から違えば、報告の内容に対する許容範囲は当然大きく変わりますよね。
実際、私には今日の報告の視角はぜんぜんオッケーでした。

そんなわけで、これからも学会の向かう方向性は落ち着かないまま推移するだろうなあと思う今日この頃です。
うん、多分こんな文章最後まで読む人いませんよね(苦笑)。