岡屋・五ヶ庄を行く。

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今日は新しいアルバイトの都合で宇治の黄檗に初めて行ってきました。
一般的には、江戸時代に明から来た隠元が開いた黄檗宗万福寺で有名なところですね。
今日は時間の都合で行かなかったんですが、途中で見つけたのが写真の看板。
(携帯で撮ったので、画質が悪いのはご容赦を)
踏切の信号灯のとこの看板なんですけど、踏切名が「隠元」てすごいネーミング(笑)。

さて、この地域は平安時代を専門としていた人間にとっては結構なじみの深い地域です。
というのも、昔は「岡屋」・「五ヶ庄」と呼ばれ(今も地名は残ってるけど)、
摂関家の荘園や別荘(「別業」と呼んだ)がこの地域に多数存在したからです。
藤原頼通が建てた平等院はもちろん、木幡に藤原道長らの墓があったように、
宇治は古くから摂関家との関係が深かった地域でした。
特に岡屋には、鎌倉初期の摂関である近衛兼経が別荘を営み、「岡屋関白」と呼ばれました。

当時この地域が重要であったのは、ひとつには宇治橋を通って奈良へと向かう
大和街道(今の国道24号線・JR奈良線にほぼ相当)沿いの地域だったからです。
そしてもうひとつの理由は、巨椋池から淀川水系を通じて、瀬戸内海さらには中国へと、
水上交通によって接続していたからです。
巨椋池はかつて平安京の南に存在し、守護神である四神の一つ朱雀に比されていた広大な池でしたが、
昭和16年に干拓されて今はありません。

とまあ、そんなことを考えながら歩いていました。
実際には、当時をしのばせるよすがはほとんど残っていないのですが、
それでも、細く入り組んだ道と、ところどころにある石製の道標に風情が感じられました。

ところで、国道24号線・JR奈良線が大きく湾曲したルートを走っているのは、
巨椋池があったころの名残なんですが、近鉄京都線が今みたいな直線ルートになったのはいつなんでしょうね??