流鏑馬神事@下鴨神社。
本日5月3日は、下鴨神社で流鏑馬神事が行われる日です。
というわけで、出かけてまいりました。
これがこのGW唯一の個人的なお出かけです(苦笑)。
何年ぶりだろう、4回生の時以来だから10年ぶり?
確か前回は、春の天皇賞を京都競馬場に見に行こうかと思ったところ、整理券がないと入れないと知り、
「じゃあ、同じ馬が見れるんだし」と出町柳で思い直して、流鏑馬を見に行ったんだ。
なんて罰当たりな(笑)。これでもほんとに史学科の学生なんですかね。
というわけで、出かけてまいりました。
これがこのGW唯一の個人的なお出かけです(苦笑)。
何年ぶりだろう、4回生の時以来だから10年ぶり?
確か前回は、春の天皇賞を京都競馬場に見に行こうかと思ったところ、整理券がないと入れないと知り、
「じゃあ、同じ馬が見れるんだし」と出町柳で思い直して、流鏑馬を見に行ったんだ。
なんて罰当たりな(笑)。これでもほんとに史学科の学生なんですかね。
それはさておき、10年経って行ってみると、ずいぶんと様変わりしてました。
有料観覧席が設けられており(¥2000也)、パンフレットが販売されていて(¥700也)、
その他お土産やグッズも売られてました。
まあ、GWですし、観光客にも喜ばれて保存の資金にもなって、
みんなが喜べて非常に良いのではないかと思います。
有料観覧席が設けられており(¥2000也)、パンフレットが販売されていて(¥700也)、
その他お土産やグッズも売られてました。
まあ、GWですし、観光客にも喜ばれて保存の資金にもなって、
みんなが喜べて非常に良いのではないかと思います。
ちょっとは真面目な解説も(笑)。
葵祭の流鏑馬は、文武天皇の時に賀茂祭(=葵祭)で民衆が集まり「騎射」をすることを禁じたのが
史料上の初見です(『続日本紀』文武天皇九(六九八)年四月庚子条)。
んでもって、文亀二(一五〇二)年を最後に祭の行列が中絶すると流鏑馬も中断しますが、
元禄七(一六九四)年に旧儀復興の運動の一環として賀茂祭が復活し、流鏑馬も再開されます。
ところが、明治維新後に天皇以下が東京に遷ると再び行列は行われなくなり、流鏑馬もまた中絶します。
これが再々興されて復活するのが昭和四八(一九七三)年のことです。
(この辺、後輩さんに嘘を教えてしまいました…すんません。やっぱ記憶だけで話しちゃダメですね。
明治一七(一八八四)年に葵祭の行列が復活したのは岩倉具視の後援のおかげなので、
あながち嘘ばっかりでもないんですけど…。)
※詳細は公式HPをご覧下さい。
葵祭の流鏑馬は、文武天皇の時に賀茂祭(=葵祭)で民衆が集まり「騎射」をすることを禁じたのが
史料上の初見です(『続日本紀』文武天皇九(六九八)年四月庚子条)。
んでもって、文亀二(一五〇二)年を最後に祭の行列が中絶すると流鏑馬も中断しますが、
元禄七(一六九四)年に旧儀復興の運動の一環として賀茂祭が復活し、流鏑馬も再開されます。
ところが、明治維新後に天皇以下が東京に遷ると再び行列は行われなくなり、流鏑馬もまた中絶します。
これが再々興されて復活するのが昭和四八(一九七三)年のことです。
(この辺、後輩さんに嘘を教えてしまいました…すんません。やっぱ記憶だけで話しちゃダメですね。
明治一七(一八八四)年に葵祭の行列が復活したのは岩倉具視の後援のおかげなので、
あながち嘘ばっかりでもないんですけど…。)
※詳細は公式HPをご覧下さい。
さて、写真もいっぱい撮ったんですけど、なんせ馬の動きが速くてうまく撮れません。
良くない写真ばっかりですが、馬のスピード感が出てるんだと思って我慢して下さい。
良くない写真ばっかりですが、馬のスピード感が出てるんだと思って我慢して下さい。
まず1・2枚目は、旧来の流鏑馬。
騎射挟物といって、江戸時代に考案された軽装のものです。
後に出てくる公家装束の流鏑馬との一番の違いは、装束もそうですが、
箙(えびら。矢を入れる容器)を使わず、矢を直接帯に挟み入れることです。
騎射挟物といって、江戸時代に考案された軽装のものです。
後に出てくる公家装束の流鏑馬との一番の違いは、装束もそうですが、
箙(えびら。矢を入れる容器)を使わず、矢を直接帯に挟み入れることです。
で、3・4・5枚目は、公家装束による流鏑馬です。
平安期の流鏑馬を復元したもので、下鴨神社の流鏑馬でのみ行われています。
ちなみに、流鏑馬の流派は小笠原流によるものです。
宗家とおぼしき方が最初と最後の射手を勤めていらっしゃいましたが、
めちゃめちゃカッコよかった!
平安期の流鏑馬を復元したもので、下鴨神社の流鏑馬でのみ行われています。
ちなみに、流鏑馬の流派は小笠原流によるものです。
宗家とおぼしき方が最初と最後の射手を勤めていらっしゃいましたが、
めちゃめちゃカッコよかった!
6・7枚目は的です。
地元のボーイスカウトが的の係としてお手伝いをされており、
こんな風にアクリル板の後ろで待機しています。
あそこは一番迫力がある画が見られるんじゃないかな~。
ちなみに、「当たり的」は縁起物として販売されていました(笑 ちなみに¥3000也)。
地元のボーイスカウトが的の係としてお手伝いをされており、
こんな風にアクリル板の後ろで待機しています。
あそこは一番迫力がある画が見られるんじゃないかな~。
ちなみに、「当たり的」は縁起物として販売されていました(笑 ちなみに¥3000也)。
8・9枚目はお土産のTシャツ。
表面の柄は八咫烏(=賀茂建角身命)。
買うまで気がつかなかったんですが、裏面は葵と丹塗りの矢のデザインでした。
なかなかいいでしょ。月末の歴研大会はこれ着て行くことにします(笑)。
表面の柄は八咫烏(=賀茂建角身命)。
買うまで気がつかなかったんですが、裏面は葵と丹塗りの矢のデザインでした。
なかなかいいでしょ。月末の歴研大会はこれ着て行くことにします(笑)。