鶴岡八幡宮・その1(鎌倉ママチャリ縦横無尽 その6)。

さて、和田塚を見たあとは、適当に昼ご飯を食べてから鶴岡八幡宮へ。
もともとは源頼義(頼朝の5代前)が1063年(康平6、前九年合戦終結の翌年)に
由比ガ浜石清水八幡宮を勧請したのが始まりで、
源頼朝が1180(治承4)年の挙兵後に鎌倉入りしてから、現在地に移したとされています。
(移転前の所在地とされているのが、今回は行きませんでしたが元八幡宮
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今回で3度目の訪問ですが、かなり好きな神社です。
なんたってロケーションが良いですよ。
メインストリートの若宮大路の段葛がどーんとあって、鳥居と橋の向こうに楼門が見えて、
急な石段の上に堂々とした楼門と本殿がそびえていて…。
ちなみに本殿は、徳川家斉が1828(文政11)年に造営したもので重文とされています。


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石段の左手にあるのが有名な大銀杏。
1219(承久元)年に公暁源頼家の子)が源実朝を殺害した際に、
この木の陰に隠れていたと伝えられていますが、
吾妻鏡』だと単に「夜陰に及び神拝の事終わる、漸く退出せしめたもうの処、当宮別当阿闍梨公暁
石階の際に窺い来り、剣を取り丞相を侵し奉る」とだけあって、とくに隠れた場所は記載がありません。
てゆーか、公暁は鶴岡別当なんだから、別に隠れてなくても怪しまれはしないだろう、とは思います。

ついでにいうと、いろいろな文学作品では事件の前段でいろいろな予兆が語られますが、その中に
「霊鳩しきりに鳴く事、かたがたもていまいましき告げありけるを、驚かぬこそはかなけれ」
というのがあります(『承久戦物語』)。
鳩はもともと八幡神の化身(という表現でいいのかなあ…)だそうで。
「だから鎌倉の銘菓が『鳩サブレー』なのか!」と合点がいったのは、実は最近なんですけどね。
だから鶴岡八幡宮にかかっている額の「八」の字も鳩の形…と知ったのは帰ってからの話。

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