「もしかしたら」。

Maybe 夢見れば 人生は 辛い思いが 多くなるけれど
Maybe 夢見ずに いられない もしかしたら――

中島みゆきの「Maybe」の歌い出しです。
何かうまく行かなくてしんどいことがあると、「ああ、しんどいなあ~」と思いながら、
いつもこの歌詞を思いだし、つくづく至言だなあ、と思います。

人生なんてそんなもの、と言ってしまえばそれまでですが、
やっぱり文系オーバードクターの生き道というのはなかなかにしんどくて、
よろず報われぬことが多いと言えましょう。
そうすると、まあだんだん考えることが後ろ向きになってきて、
「どうせうまく行かないんだろうけど」とか、「やっても無駄なんだろうけど」とか、
何かにつけてそんなふうに自分に言い聞かせるようになります。まるで枕詞のように。
僕は相当楽観的な方だと思うんですが、それでもやっぱりそうです。
なんていうか、実際に痛い目を見ることになる前に、防衛本能が働くんですよね、きっと。

で、それで物事がうまく行きました!っていう場合はめでたしめでたしなんですが、
まあたいていの場合は、やっぱりうまく行かないわけで。
そんな時僕は、うまく行かなかったことそのものももちろんショックですけど、
「なんだかんだ言って、実はやっぱり期待していた自分」に気付いて、
そのことになんだか余計ショックを受けてしまいます。
結局のところ、期待の分だけ自分を持ち上げて、結果的にその高さの分だけダメージを受けるんですから。
そうならないように自分に言い聞かせているつもりでも、言葉の上でだけのことなんだなって。

でももしかしたら、「もしかしたら…」と期待が持てるからこそ、人間頑張れるのかもしれません。
悪い未来も見通して、あらかじめそれに備えるというのが賢者の道なのかもしれませんが、
自分でできるだけのことはして、悪い結果が出たらそれはその時に考えるというのも、
愚かではあっても、生きていくためにはそれなりに必要なことなのかなあ、と。
どうせいつか現実には直面せざるを得ないのだし、「なってみないとわからない」ことが実際にある以上、
考えてみたって無益なのかもしれませんから。

と、痛い目を見る度に、そうやって自分を正当化して振り出しに戻るのでありました。
うーん、無限ループだな(苦笑)。