「大相撲異文化考」というコラム。

我が意を得たり、というコラムを見かけたので。
土曜日の毎日新聞の記事です。

大相撲異文化考:外国出身好角家に聞く/4止 アレック・ベネットさん
◇時代に沿った変革、必要--アレック・ベネットさん(40)=武道学者
毎日新聞) http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100313ddm035050100000c.html
 私は大相撲を武道だと思っていない。勝ち負けにこだわらず、勝負を求めるプロセスこそ武道と考えるからだ。大相撲は古いしきたりにのっとってこそいるが、すべてが勝ち負けの世界。その意味で娯楽であり、武道とは目的が違う。
 朝青龍騒動でも問われた「横綱の品格」にしても、大きな矛盾が生じている。私が20年を超える剣道の経験を、人生の枠組みに生かそうと思えたのは最近のこと。まだ人生経験も少ない20歳代の力士に、人格者と呼べる人間形成ができるとは思えない。
 朝青龍も歴代横綱の中でとりわけ問題があったとは言えない。なぜなら、マスコミが角界をバッシングするようになったのは最近のことで、それまでは国技を批判することはタブーだった。今や当たり前のように批判しているが、20年前ならどうだっただろうか。
 引退騒動に呼応して、日本相撲協会が外国人力士を制限し、日本に国籍変更した力士さえも外国人とみなす判断には納得できない。これ以上外国人が増えれば、日本人力士が育たないという危機感が理由だろうが、明らかな法律違反で人権問題だ。大相撲の世界では平気で行われているが、それを批判しない日本のマスコミも問題。あきれるばかりだが、これが国技の実態だ。
 本来、相撲はスポーツとして実にわかりやすい競技。一瞬で勝敗が分かり、ある意味で柔道などより五輪競技に向いているという声もある。アマチュア相撲を見れば、世界で競技人口が増加する人気のスポーツとなりつつあり、その可能性は計り知れない。ただ、大相撲がこういう人種差別的行為をしてしまうと、世界への普及を目指す人たちが迷惑をこうむる。その矛盾は、何としても正さなくてはいけない。
 大相撲では頻繁に「伝統」という言葉が使われるが、とてもあいまいな概念。多くの場合、相撲界の改善を避けるために利用する便利な言葉となってしまっている。生きた文化に復活させるためにも、日本相撲協会には品位、品格の基準、組織の在り方など、一般常識と矛盾した要素を真正面から再考し、解決すべきだ。今の時代の流れや考えに沿った組織に変革しない限り、未来はないと思う。【聞き手・和田崇】=おわり
 ■人物略歴
 ニュージーランド出身。17歳で初来日し、日本在住は計18年に及ぶ。関西大国際部准教授。母国の剣道世界選手権元代表で、現在は同国ナショナルチーム監督を務める。

おおう、さすがベネットさん。わかっていらっしゃる。
いや、実はこの方は同じ大学院のご出身で、何度かゼミでご一緒してるんですよね。
「武道学者」とは聞き慣れない肩書きですが(笑 まあ記者さんが付けたんでしょうけど)、
武士道の研究で博士号を取られ、研究書も出されている、その筋?では有名な方です。

「私は大相撲を武道だと思っていない。」とはまたのっけから刺激的な書き出しですが、
まあでもそういうことですよ、きっと。
過去はいざ知らず、現在の大相撲は娯楽でありスポーツである、ということでしょう。
武道として伝統を重視するのであれば、もっと良くも悪くも閉鎖的にやる必要があったはずですが、
今さら後戻りできない以上(個人的にはそれで構わない気もするのですが)、
「門戸を開放し、最低限のルールを共有する」という方向性しかありえないと思うんですがねー。