ディープ・インパクト。

今日は今年度の大学の講義の初回でした。
今年から前期だけ衣笠山のふもとの大学でも非常勤講師を務めることになりまして、
新しい職場・新しい科目から、まっさらな気持ちでスタートです。
非常勤講師を始めて今年で4年目になりますが、個人的な今年のテーマは「初心忘るるべからず」。
経験を積んで余裕ができてくる頃だからこそ、初心を忘れずに新しい気持ちで1年頑張ろうと思います。

そんなわけで、今日は半分緊張、半分ワクワク…というテンションで通勤してました。
歩きながらジャンプして宙返りとかしたくなって仕方なかったです。
(やらなかったのは、人目を気にしたのではなく、身体能力的に出来なかったから。
仮に出来る身体能力があったのなら、間違いなくやってたと思います。)

科目は「歴史観の形成」というタイトルで、
話をもらったときには「『愚管抄』とか、歴史認識の形成について」ということだったんですが、
前任者のシラバスを見たら「私たちの歴史観を形成しましょう」という内容でした。
それってものすごく「似て非なるもの」ですよね(笑)。
で、つまりは歴史学に関する概論的なことをやってくれってことだなあ、と理解。
対象は文学部の1回生から取れる全学年対象の科目です。
ということは、歴史学を専攻したい学部生(もいる)相手に、
真っ向勝負で「歴史学とは何ぞや?」という話題をぶつけてもいいってことですよ!
いやー、燃えましたね。ジャンプしたくなる気持ちがお分かりいただけますか?(笑)

ということで、過去に書いたこういう記事なんかを織り交ぜて、歴史学って何ですか?とか
歴史を「研究する」ってどういうことかを話した上で、最後にやりましたよ。
歴史学の意義とは?」
おおっ、研究者間ではいまさら気恥ずかしくて話せないテーマ(笑)。
というか、これって多分「共通見解」みたいなものってなくって、1人1人が考えるべきことですよね。
まあ、自分なりの意見は言ったわけですが、言いたかったことはそういう私見だけではなくて、
歴史学をやっていると、かならず『歴史なんて知らなくても生きていける』という意見を言われます。
歴史に限らず、文学部にいると、たいていそういうことを言われます。
その分野を勉強する意義を答えられるようになれないと、大学の4年間はつまらない。
僕にとってはそれは『歴史を研究する意義』ということになるけれど、
みなさんはそれぞれの専門で、それぞれの答えを探して下さい。」
と。
ええ、もういいんですよ。格好つけて見得を切りましたよそうですよ(笑)。
でもねー、やっぱり教える側って、そういうところで恥かしがっちゃいけないと思うんですよ。

受け手の側がどう思ったのかはわかりませんが、
教室にいた500人弱(多かった…)のうち3分の1くらいは好意的な感想だったので、
(残りは不評だったということではなくて白紙。僕は感想を「書きたい人だけ書いて」としか言わないので。)
反応としてはなかなか良かったのかなーと。ちゃんとボールを投げたら返ってくるんだなあ。
「おっ!」と思ってもらうのが目的のイントロだったので、
「衝撃的でした。」とかいう感想が返ってきたのがむっちゃうれしかったです。

「知る」ことの最大の面白さは何かと言われたら、
僕は「知る前と知った後で世界の見え方が変わること」だと思うんです。
変わり方の程度の多少はあるにしても、教育というものの素晴らしさは、まさにそこにあるはずです。
受講生のうちの何人かにとって、講義の前と後で世界の見え方が変わっていてくれたらうれしいなーと思います。
そして、僕にとって、今回の講義の前と後で、世界の見え方は少し変わった気がします。
なるほど確かに、「教えることは教わること」なんですね。
(「単にアドレナリンが出すぎておかしくなってるだけ」とは言わないで 笑)

てゆーか、次回から地味ーに専門の具体的な話になってくんだけどな~。
「前口上の割りに退屈だ」と思われないように頑張らなくては(笑)。