『旅人―湯川秀樹自伝―』。

立て続けに古典の作品ですが、取り上げるのは湯川秀樹博士の自伝である『旅人』です。
以下、すっかりイレ込んでしまったので、「湯川先生」と呼んでしまうことにします(笑)。

湯川先生の文章が面白いこと自体は、以前から知ってたんですよね。
というのは、湯川先生のエッセイなんかはしばしば国語の教材で使われるので、
これまでも断片的に読んだことがありましたから。
で、作品として通して読むのは今回が初めてだったのですが、これがもう面白くて面白くて。
なんだかもう、ノーベル物理学賞受賞者にこんな文章を書かれてしまっては、
我々文系の人間はどうしてよいのやら、という感じです(笑)。
もともと儒学者の家系なのは知っていましたが、
(湯川先生の祖父は紀州田辺藩儒者浅井南溟で、兄の貝塚茂樹文化勲章を受章した東洋史研究者、
 弟の小川環樹は中国文学の研究者…って、有名な話ですが、「小川四兄弟」ってほんとスゴイです)
やっぱり漢文の素養というのは大きいよなあ、と改めて思いました。
芥川とか中島敦の文章を読んでいてもそう思うのですが、
格調高い文章の涵養にいちばん役立つのは漢文の素読ではないかと思います。
この自伝でも、幼少期の素読が与えた多大な影響について触れられていますが、
幼児教育の肝の一つは、やっぱ読み聞かせと素読ですよ。

さて、格調高い文章でも内容がともなわなければ意味がありませんが、
この本が深い知性に裏付けられた物であることは言うまでもありません。
この本のすごいところ(というか、湯川先生のすごいところ)は、
そこにみずみずしい感性を同居させてしまっている点です。
自伝なので、幼少期から時間を追って語られるわけですが、
幼少期の世界のきらめきをこれだけありありと描写できるのは、
その感性が人格形成の過程で損なわれることなく、
大人になっても基盤の一つとして重要な位置を占めていたからでしょう。
好奇心や柔軟さや精神の自由というものが、研究者にとっていかに貴重なものか、
あらためて考えさせられました。
もちろん、研究者に限らず人間一般に言えることなのでしょうが。

そしてもう一つ、これは湯川先生自身の人格的魅力ということになりますが、
ものすごく強健かつ闊達なんですよね。
たとえば、湯川先生は兵役検査で丙種合格(=実質不合格)とされます。
当時は「甲種合格」こそが男の名誉とされていて、
津山三十人殺し」の犯人が丙種合格とされたコンプレックスを抱いていた話などが有名です。
そういう時代に、湯川先生は丙種合格という事実に対して
「自分の好きな学問のことだけを、考えればよい日々が続くことになった。」と述べます。
コンプレックスなんて微塵もありません。
このエピソードでもう一つ面白いのは徴兵官の態度で、丙種合格の事実を告げた後に、
「君たちは若い大学生だ。兵隊としては役に立たんが、学問の道にはげんで、
 その方面で、日本の存在を世界に知らせるようにしてほしい。」と言います。
ここで要らんことを言う徴兵官なら、嫌でも何かしらマイナスの感情が生じただろうと思うのですが、
こんな徴兵官に当たるあたり、湯川先生は運も良かったんだなあ、と思います。
こういう精神の強健さや運の強さは、一つのことに大成する人の必須条件ではないでしょうか。

闊達さという点では、やはり京都の自由な学風との関わりが興味深いです。
京都一中(現洛北高校)→三高(現京都大学総合人間学部)→京都大学
と湯川先生の受けてきた教育内容についての叙述は、やはりこうでなくっちゃと思わされます。
というか、今の総長に読ませて説教してやりたい(笑 尾池総長時代の反動らしいですけどねえ…)。
それとは別に、湯川先生の描く女性の姿を読んでいると、
この人って根っからリベラルな人だったんだろうなーと思いますね。

あと、この本は「京都本」としての面白さも兼ね備えていて、
市電を初めとする、今の京都には残っていないかつての風物がいきいきと描写されています。
もちろん丸善はまだ三条通にありますし、
子供のころは鎰屋さんがまだ寺町二条にあって(今は百万遍)、そこのお菓子がおやつだったこととか、
豆餅で有名な出町ふたばの主人が通学の同級生だった話とか、いろいろ面白い話が満載です。

というわけで、未読の方はぜひぜひ。おすすめです。