南九州三国旅日記(第二日目その1)

今日も朝からバイトでした。やれやれ…。
帰ってきた早々、生活に追われてますね。
これぐらいの方が、「研究してえ~!」という気分にはなりますが。

さて、旅の二日目は宮崎港上陸から。
植生からして明らかに南国。でも、やっぱりカラッとした暑さですね。あまり苦にならない。
この日の行程は、宮崎神宮→(宮崎空港でN先生と合流)→霧島神宮→隼人塚→鹿児島神宮でした。
神宮一色(やっぱ発音は「じんぐういーそー」だろうか)ですね。
近代以降において、「神宮」といえば天皇家及びその祖先を神として祭った神社ということになります。
この日の行程の神宮の主神が全部わかる人はそうとうなマニアと言えましょう。

宮崎神宮神武天皇・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト、神武の父)・玉依毘売(タマヨリヒメ、神武の母)
霧島神宮瓊瓊杵尊ニニギノミコト、神武の曽祖父)
鹿児島神宮…穂穂出見尊(ホホデミノミコト、神武の祖父、いわゆる山幸彦)、豊玉比売命(トヨダマヒメノミコト)
ここで祭られているのは、記紀で言うところの天孫降臨以後・神武東征以前の「日向三代」ということになります。

多分歴史研究者にとって一番なじみが深いのは、鹿児島神宮ですかね。
もともとは大隅八幡宮といって、大隅国の一宮です。
荘園関係の史料が多数残存していることでも有名…というか、荘園研究者は足を向けて寝れないはずだ。
本来大隅隼人の宗教施設があったところを、律令国家が乗っ取って
八幡信仰を支配のテコにしたのではないかと想定されているようです。

実はわが家は京田辺市の大住というところにあるのですが、
ここの地名の由来が、大隅の隼人が移住させられた律令制下の「大住郷」に由来しておりまして。
今でも旧村落部の月読神社では、隼人舞が奉納されています。
そんなわけで、一度は行ってみたかったところなんですよね。念願がかないました。

どの神宮も交通が不便なところなので(宮崎神宮はわりと市街地に近いけど)、
レンタカーじゃなきゃなかなか回れるところではありません。
こういう一人だと回りにくいところにいけるのが、ゼミ旅行の醍醐味ですね。