清閑寺。

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今日は思い立って清閑寺に行ってきました。
…といっても、多分「清閑寺ってどこ?」という人が多数でしょうね。
実際、こないだ東京での懇親会で話した時も、院政期が専門のみなさんでもそうでしたから。
私も行ったのは今日が初めてですし。

清閑寺延暦二十一(八〇二)年創建と伝えられる古刹です。
場所は国道一号線を京都市内からずっと西へ進んでいって、東大路通から大谷本廟をさらに越え、
音羽の山の中に位置しております(山科までは行かない)。
観光バスで京都東ICから市内に入ってきたら、一応前は通ります。
通っても、きっと気がつかないと思いますけど…私は気付きませんでした。
往時はかなりの規模を誇ったようですが、応仁の乱で焼けてしまったようです。
今でもそうですが、京都から東国へと向かう街道沿いの要衝に位置しているせいですね。

で、お寺としてはあまり見るべきものはないのですが、
ここには六条天皇陵(清閑寺陵)・高倉天皇陵(後清閑寺陵)があります。
また、平家物語に登場する悲劇のヒロインの一人、小督ゆかりのお寺です。
こないだの研究発表のテーマには高倉天皇が関わっており、六条天皇も以前なんどか取り上げたので、
一度は行っとかなきゃなあと思っていたのでした(アリバイ作りみたいなもんです)。

五条通からバスが出ているのですが、連休+お彼岸で道が混んでいたので、歩いて行くことに。
五条通清水寺に行く観光客と大谷本廟へ行く墓参り客とで大混雑)
ところがこれが判断ミス。京阪五条から距離的には時間にして30分強というところだったのですが、
上り坂の上に今日はお天気が良くてかなりの暑さ。そして何より、景色が単調。
そしてたどり着いた先は、ちっこい本堂がちょこんとあるだけの、殺風景なお寺なのでした(苦笑)。

あと裏話的には、本堂の本尊である十一面千住観音像は菅原道真作と伝えられていたり(でも見れない)、
粟田焼・清水焼の発祥の地となった清閑寺窯の跡があったり、
西郷隆盛月照が謀議した茶室である郭公亭の跡があったり(でもどっちも跡なんだよね)、
谷間から京都市内が扇状に見えて、その扇の要の位置にある要石で願掛けすると願いがかなうという
言い伝えがあったり(と、行ってから知った。ちょっと残念)、といったところです。

うーん、正直、歴史か国文が専門の人以外には、あまりおススメはしないなあ。
ただし、秋の紅葉のときはすごくきれいだと思います。
今日の私はルート選択を間違えましたが、清水寺からだと歩いて十分かからない距離のはずなので、
清水寺に行かれる方は、少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

あと、帰りは一号線を南にそれて、馬町から新日吉神社に参って京都駅に帰りました。
豊国廟にも行ってみようと思ったのですが、道が良くわからず断念。
この辺は京都女子大の近くで、よく用事で京女には行くのですが(考えてみりゃ今年の大会もここだ)、
日吉神社には行ったことがなかったんですよね。
ついでに言うと、智積院妙法院も、前は通ったことはあるけれど入ったことはありません…
さすがに三十三間堂には行きましたが。あと方広寺にも。
近いからいつでも行けるしいいや~って思っちゃうんですよね。いかんいかん。

それにしても、正味歩いた時間は1時間半もいってないと思うのですが、
その割に足が疲れてます。最近あんまし歩いてなかったし、なまっちゃったのかな。
歴史研究者は現地を歩いてまわってなんぼの商売ですので、非常にまずいです。
このままだと、「鯖街道を歩いて若狭まで行く」という野望が果たせないじゃないか…。