京都国立博物館「美のかけはし-名品が語る京博の歴史-」。

昨日は京都国立博物館で、特別展「美のかけはし-名品が語る京博の歴史-」を見てきました。
何が出ているのかよく知らなかったのですが、あの有名な神護寺源頼朝像をはじめ、
かなりいいものがたくさん見られて、その点ではとても良かったです。その点では。
(ちなみにこの像については、近年「足利直義像」であるとの研究が出されています。
 いずれにしても、正確には「伝源頼朝像」とするべきところなんでしょうけど、
 多分そうなってないのは、「源頼朝像」として国宝指定を受けてるからなんでしょうね)

但し書きを付けるからには、何か不満があったのか、と。
まあ実際、不満はありました。
そもそも、展覧会のこのタイトルを見て、どんな内容の展示で、
どんなものが出品されているか想像が付きます、みなさん?
主な展示品のリストはこんな感じです。

文覚四十五箇条起請文・公家列影図・豊国祭礼図屏風・源頼朝像・平重盛像・一遍聖絵明恵上人像…
あと、展示替の都合で見られませんでしたが、天橋立図・風神雷神図屏風洛中洛外図屏風など。
他にも、後白河法皇像・高倉天皇像・平家物語太平記保元物語貞永式目抄・東寺執行日記・
方丈記信長公記・などなど、マニア垂涎の品々が目白押しです。
私の場合、ほとんどの展示品が、「予想もしてなかったのに行ったら見られた」という感じでした。

それはまあ、「展示品の情報はHPで調べられる」というのはもっともな意見かもしれません。
しかし、そもそもタイトルを見て何の展示かわからなければ、
調べる以前に、見に行こうという気が起こらない、というのも一つの意見です。
現実問題として、これだけの展示品に対して、
見に来ていた人の数は普段の特別展よりはるかに少なかったです。
普段の特別展の人の多さには辟易するし、じっくり見ることができたという点では
非常にありがたかったのですが、ちょっともったいなかった感じは否めません。

次に、展示のテーマ・物の「見せ方」に関して。
展示の構成は以下の通りです。
 第一章 諸行無常 東山の光と影
 第二章 大仏出現 秀吉の夢の跡
 第三章 京博誕生 文化財保護の原点
 第四章 魅せる 名品との出会い
 第五章 蒐める 収蔵品の成り立ち
 第六章 護る みやこの宝蔵
 第七章 甦る 文化財の総合病院
 第八章 究める 見いだす喜び

展覧会の目的は、「開館110年という節目を記念し、生い立ちと、果たしてきた役割をたどる」
ということだそうで、京博の位置する東山七条近辺の歴史的変遷と、
京博の行ってきた活動の紹介という、事実上の二部編成となっていました。
一・二章が第一部で、三~八章が第二部。
まあなんというか、言ってみれば「京博の自己認識」という展示ですよね。
で、やっぱり「自分語り」というのはむずかしいもんなんだなあと思ったわけなのですが(苦笑)。

なんかねー、まず一部と二部の内容が完全に乖離してるんですよね。当然なんですけど。
で、意地悪な見方かもしれませんが、「一・二・四章は、人寄せのための目玉商品?」
とか思ってしまいました。
実際、先に主な展示品として挙げた品々の多くは、この部分に集中しています。
展示自体としては、明らかに三・五・六・七・八章で構成したほうがすっきりするし、
前史の部分をつけるなら、立地に即した前史よりは、目新しさには少々欠けますが、
博物館・文化財保護の歴史という観点で構成したほうがわかりやすかったのではないかと思います。
つまり、いろいろな寺社が個別に宝物を持ち、御開帳などの形で公開していたこと、
あるいは、墨蹟などが茶道等の中で収集・保存・破壊されてきたこと、
西洋的な博物学の導入、古社寺保存法・国宝保存法による旧国宝期、文化財保護法以後の現況、
その中で京博の果たしてきた役割、といったことがあげられると思いますが。
まあ大学の博物館学の初歩程度の話ですが、だから展示で語る意義がないわけではないと思いますし。
(というか、一般にさほど知られている話でもないでしょう。)

あと、第五章の「蒐める」の部分は、多くが寄贈コレクションで構成されていましたが、
展示品に対する説明がコレクションと展示品の双方に対するものだったので、
展示品そのものの意義付けが書ききれていなかったのが残念でした。
こういうところも、前半をもっとシンプルにして、こちらに重点を置いて欲しかったなあと。

いいものをたくさん見せてもらっておいて、いろいろと言いたい放題書いてしまいましたが、
ほんとに物はいいものばかりたくさん揃っていました。
展示期間は8月27日までなので、未見の方はぜひどうぞ。

4時過ぎに行ったのに、西日が強くて暑くって、
京阪七条から歩いただけでヘロヘロになりましたけどね~(苦笑)。