崇徳天皇御廟。
昨日は京都に出る用事があったので、気分転換をかねて、以前から気になっていた史跡へ寄り道。
・崇徳天皇御廟
詳細についてはこちらをご覧下さいませ。
なんか詳しい説明を他所で見つけると、自分で書くのがめんどくさくなりまして…(苦笑)。
まあ、「平安京探偵団」の内容の充実ぶりは別格ですけどねー。
詳細についてはこちらをご覧下さいませ。
なんか詳しい説明を他所で見つけると、自分で書くのがめんどくさくなりまして…(苦笑)。
まあ、「平安京探偵団」の内容の充実ぶりは別格ですけどねー。
要するに、
1156(保元元)年 保元の乱で崇徳上皇が讃岐(香川県)に流される
1164(長寛二)年 崇徳上皇が讃岐で没する
1184(元暦元)年 崇徳上皇の怨霊を慰めるため、後白河法皇が春日河原に廟を建立
(で、どうも他にも個人的に建立された廟があったらしい)
⇒室町時代に一時廃絶し、1497(明応六)年に現在地付近に再興
ということです。
1156(保元元)年 保元の乱で崇徳上皇が讃岐(香川県)に流される
1164(長寛二)年 崇徳上皇が讃岐で没する
1184(元暦元)年 崇徳上皇の怨霊を慰めるため、後白河法皇が春日河原に廟を建立
(で、どうも他にも個人的に建立された廟があったらしい)
⇒室町時代に一時廃絶し、1497(明応六)年に現在地付近に再興
ということです。
自分で島流しにしておいて、後から怨霊として慰撫するんですから、
慰撫される側としてはいい面の皮だと思うんですが…
まあ、早良親王と桓武天皇にせよ、怨霊ってそういうもんですけどね~。
しかし崇徳上皇という人は、父親(鳥羽法皇)には冷たい仕打ちをされ、
弟(後白河天皇)には戦いを仕掛けられて讃岐に流され、
あげく死んでからは大怨霊に仕立て上げられ(これについては山田雄司『崇徳院怨霊の研究』をどうぞ)
…と、ほんとお気の毒な人です。自分には責任はほとんどないのにねえ。
(その点、後鳥羽上皇はほぼ100%自己責任なので、あまり気の毒な気がしません)
慰撫される側としてはいい面の皮だと思うんですが…
まあ、早良親王と桓武天皇にせよ、怨霊ってそういうもんですけどね~。
しかし崇徳上皇という人は、父親(鳥羽法皇)には冷たい仕打ちをされ、
弟(後白河天皇)には戦いを仕掛けられて讃岐に流され、
あげく死んでからは大怨霊に仕立て上げられ(これについては山田雄司『崇徳院怨霊の研究』をどうぞ)
…と、ほんとお気の毒な人です。自分には責任はほとんどないのにねえ。
(その点、後鳥羽上皇はほぼ100%自己責任なので、あまり気の毒な気がしません)
場所は祇園の新地歌舞練場の裏手です。東山安井のバス停から歩いてすぐ。
JRAの場外馬券売り場が出来たおかげ(「おかげ」というべきか「せい」というべきか…)で、
そこらじゅうに警備員さんが立っています。
「平安京探偵団」の写真だと門が開いていて、中の写真もUPされているんですが、
私が行ったときには扉が閉まってこんな状態でした。
かろうじて、石碑と奥の石扉の菊の紋が見えますかね。
JRAの場外馬券売り場が出来たおかげ(「おかげ」というべきか「せい」というべきか…)で、
そこらじゅうに警備員さんが立っています。
「平安京探偵団」の写真だと門が開いていて、中の写真もUPされているんですが、
私が行ったときには扉が閉まってこんな状態でした。
かろうじて、石碑と奥の石扉の菊の紋が見えますかね。
で、折角なんで白峯神宮にもおまいりしてきました。
祇園のバス停から市バスの201系統に乗って、20分ほどで着きます(堀川今出川)。
白峯神宮については以前書いた(コチラ 蹴鞠の写真付き)ので省略ということで。
祭神は崇徳天皇と淳仁天皇。蹴鞠で有名な神社ですね。
祇園のバス停から市バスの201系統に乗って、20分ほどで着きます(堀川今出川)。
白峯神宮については以前書いた(コチラ 蹴鞠の写真付き)ので省略ということで。
祭神は崇徳天皇と淳仁天皇。蹴鞠で有名な神社ですね。