明石藩舞子台場跡。
舞子台場は、明石海峡警備のために1863(文久3)年に築かれたそうです。
江戸幕府が明石藩に費用一万両を貸与し、勝海舟の指導によって築造させました。
ここは明石海峡が最も狭くなっていて、対岸の淡路島にも阿波藩の松帆台場が築かれ、
明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにする計画だったと考えられています。
近年の発掘調査の結果、現存の海岸の石垣が築造当時のままのものであることや、
台場の石垣全体も良好な状態で埋まっていることがわかりました。
写真でもわかると思いますが、石垣は西洋の要塞のようにW字形の稜堡式ですね。
(神戸市教育委員会の公式HPで全体の復元図が見られます)
現在は保存のため埋め戻されていて、一部が地上で確認できる形で残されています。
↓石敷きの解説板
台場の石垣全体も良好な状態で埋まっていることがわかりました。
写真でもわかると思いますが、石垣は西洋の要塞のようにW字形の稜堡式ですね。
(神戸市教育委員会の公式HPで全体の復元図が見られます)
現在は保存のため埋め戻されていて、一部が地上で確認できる形で残されています。
↓石敷きの解説板
こういう近代の遺跡もけっこう好きです。
これにて舞子周辺の史跡巡りは打ち止め。
次回からはこないだの関東行きの時のレポです。
当分ネタには困りません(笑)。
次回からはこないだの関東行きの時のレポです。
当分ネタには困りません(笑)。