国会議員を測る物差し。

割と良く知られているエピソードを2つ。

犬養毅は総理大臣になる前に一度は国会議員を辞職し、政治から引退したのですが、
「木キチ」(「木堂キチガイ」の意。木堂は犬養の号)と呼ばれた地元岡山の熱狂的なファンは彼の引退を許さず、
本人の同意を得ずに彼を衆議院選挙に立候補させ(これもすごい話だ…)、見事当選させてしまいました。

「聖戦の美名に隠れ」のフレーズで知られる反軍演説を行った斎藤隆夫衆議院議員を除名されますが、
その後のいわゆる翼賛選挙を非推薦候補として戦い19753票を獲得、
推薦候補に7500票余りの大差をつけて圧勝します。


特に斎藤隆夫について特筆しておきたいのは、
彼が選挙区(但馬地域)への利益誘導を忌み嫌い、まったく行っていなかった点です。
なにしろ、戦時中に出石鉄道がセレベス島に供出されることになり、地元が取り止めを陳情した際、
斎藤は「こんな地元の陳情を受け付けるのは国会議員の仕事じゃないのだが」と文句を言うくらいですから。


これらのエピソードの何が素敵かといえば、
こういった人たちを国会議員に選出する見識ある選挙民がいたのだ、ということでしょう。
戦前日本の民主主義や政治制度についてはいろいろ批判点もありますが、
このことはやはり称揚されて良いように思います。

斎藤のセリフに端的に示されているように、
国会議員の多くは選挙区から選出されますが、彼らは国政にのみ責任を負うのであり、
選挙区そのものに対する責任は、その一部分として存在するだけです。
言い換えれば、国会とは国という大きな枠組みについて決める場であって、
個々の地域のことはそれぞれの地域の中で決めるべきことだ、ということです。
(それゆえにこそ、財源込みでの地方分権が大事だということになるわけですが。)


国会議員を計る物差しはもちろん一つではなくいろいろあるわけですが、
「国会議員の仕事をきちんと理解しているか」というのは、間違いなく大切な指標の一つでしょう。
地益への利益還元を謳っている候補者は、要するに自分の仕事を履き違えている、ということです。