壺井八幡宮(竹内街道を行く・その9)。

このシリーズも今回が最終回です。
旅の終着点は壺井八幡宮
1064年(康平7年)に前九年合戦から凱旋した源頼義が、
屋敷の東側に氏神である石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされています。
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なので、祭神はもちろん応神天皇仲哀天皇神功皇后

んで、本殿の左奥には摂社の壺井権現社があります。
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1109年(天仁2年)に源義家の五男義時が創建したとされている河内源氏の崇廟で、
頼信・頼義・義家の河内源氏三代に加え、義家の弟である義綱・義光が祀られています。
京都の六孫王神社、摂津の多田神社と並ぶ、源氏三神社の一つです。
六孫王神社多田神社は以前お参りしているので、これで源氏三神社は完全制覇。

なにも事前連絡なんてせずにふらりと参拝したのですが、
おみくじを引いたあとに宮司さんとお話しする機会があって、いろいろ親切にしていただきました。
(雨が降ってきたので傘までいただいてしまった…。どうもありがとうございました。)
なんでも、社殿には頼信・頼義・義綱・義光の像が安置されていて、
春秋の例大祭(5月15日・10月17日)の時には開扉されるので見られるそうです。
いずれまたゆっくりと行ってみたいなあ。

ちなみに、壺井のネーミングの由来は、
「前九年合戦の際に頼義軍の飲料水が不足したので、八幡大菩薩に祈ってから弓矢で地面を掘ったところ、
 そこから清水が湧き出してきた。
 その清水を壺に入れて持ち帰り、屋敷内に井戸を掘ってその壺を埋め、「壺井水」と称した。」
ということのようです。
今でもその井戸と伝えられるものが残っています。
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